大学の自治の終焉、ひいては大学の自殺について

私は大学時代、駒場寮という自治寮に住んでいました。自治寮とは寮生が自主管理を行い、運営する寮です。昔から大学の管理強化というのは文科省の思惑でした。私が入寮してすぐに廃寮通告がなされ、5年ほどもめたのちに強制排除が行われ、駒場寮は潰されました。

さて、大学の自治という言葉があります。何のためかというと、政治経済からの過剰な干渉を食い止めるために、自分の大学は自分たちで管理し、正常な運営に努めるためでありました。強制排除の時、東大は自治を捨てたと感じました。まあ、もっと遡れば安田講堂に機動隊入れた時点でもう終わってはいたのですが。

そして現在、日本の大学はその存在意義を失いつつあります。自治はおろか職業訓練学校にしかなっていないのが現状です。予算がついたからやります、科研費が下りたので云々。そして学歴のインフレ。大学院を出てしまうと就職できないのが現状です。そして運の良い学卒者が就職しても、やらされる仕事はパワーポイントでの資料作りなど、別に大学でなくてもいいことばかり。実際IT業界などにおいても高卒の人間の方がバリバリ働いていたりするのが現状です。

大学は何のために行くのでしょうか?日本の大学を出ることに何の意味があるのでしょうか?私自身が進学塾をやっておきながらではありますが、前述の問いに対する模範解答は、ぽろぽろと崩れつつあります。

さて、海外ではまだ大学の自治が生き残っております。自分を問い直し、社会を問い直し、あるべき姿を模索し続ける。学歴差別もありますが、それぞれ自分なりにキャリアを積んでおります。それに対し、政治家、官僚からのお恵みだけにたかる教授たちの姿を見るに、この国の大学はもう死んでいるのかもしれないと思います。

あまりにも悲観的すぎるかもしれません。ただ先日、自治や自由の象徴である京都大学において、自治寮に廃寮勧告がなされました。一旦撤回された経緯もあるのですが、京大もついに、という感じです。死にかけています。

現状の背景が見えないので、近日中に京都に行こうと思います。ちゃんと現場を見て、大学のあるべき姿、将来はあるのかどうかなど考えてこようと思います。